ベッカム、オーウェンらの引退が持つ意味・・・黄金時代の終焉。 [スポーツ]
3月19日、マイケル・オーウェンが、今季限りでの現役引退を発表した。
全盛期からはほど遠い「失速」と「停滞」の引退表明。
ペナルティエリア内でボールが来れば、より簡潔に、ボレーシュートを叩き込んだ。
「オーウェン・ファイナル」と呼ばれる、'01年FAカップ決勝アーセナル戦(2-1)での2ゴールも、「ミュンヘンの奇跡」として知られるドイツとの同年W杯予選(5-1)でのハットトリックも、ゴール前に走り抜けての力強いシュートと、ボックス内での咄嗟のボレーの組み合わせによる得点だ。
それだけに、現役後半の「失速」と「停滞」に人々は胸を痛めた。誰もが記録更新を確実視した代表での得点数は、'07年に歴代4位の「40」となったまま。プレミアリーグ中位のストークで、スコアレスドローに終わった今季第30節をベンチで終えた直後という引退表明のタイミングには、尻窄みのエンディングを象徴するかのようで、淋しさを覚えずにいられなかった。
レアルへの移籍がその後のキャリアに暗い影を落とした。
キャリアにおける明暗の分岐点を、'04年夏のレアル・マドリー移籍と見る向きは多い。
同年にリバプールの監督となったラファエル・ベニテスの評価が低く、チームを去るしかなかったという見方までされている。だが、当時のチームメイトで、ユース時代からオーウェンを知るジェイミー・キャラガーによれば、レアル移籍はオーウェンが望んだ「変化」だった。一足先に今季末での引退を表明した35歳のリバプールDFは、3月20日付の『デイリー・メール』紙上で次のように明かしている。
「レアルは、大舞台での勝負強さに惹かれてマイケルを欲しがっていた。彼も、新たなチャレンジを求めていた。チーム内では政治力が物を言い、ラウール(・ゴンサレス)とロナウドという不動の2名がいるレアルにいけば、純粋な得点力だけで定位置を奪うことは難しい。だから、移籍は考え直した方がいいと言ったんだ。でも、マイケルの気持ちは変わらなかった。スペインでも成功すると信じて疑わなかったんだ」
実際、レアルで過ごした1シーズンの数字は、出場45試合で16得点と悪くはない。先発の機会が26試合に限られていた点を考慮すれば尚のことだ。結果として、翌'05-'06シーズンを前に、ニューカッスルは、30億円台の移籍金と約7億円の年俸を用意して、25歳のオーウェンをプレミアリーグに呼び戻した。
ニューカッスル復帰後は右足の古傷に悩まされることに。
そのニューカッスルでの4年間は、残念ながら、出場試合数は「79」、得点数は「30」に留まり、ファンに「給与泥棒」呼ばわりされるはめになった。
原因は、'06年W杯で負った前十字靭帯断裂を含む怪我の数々。悪循環は、'99年に経験した右足のハムストリング断裂に始まったものだ。
この19歳当時の大怪我に関しては、10代の頃から早熟の天才として肉体を酷使した代償を払わされたという解釈が一般的だ。だが、当時のリバプール監督だったジェラール・ウリエが休養を与えようとすれば、「30代になったら休みますから!」と常時出場を直訴していたのはオーウェン自身。当人が「若い頃にプレーしすぎた」などと後悔しているはずもなく、意識しているとすれば、それは、当時の医療技術の「未熟」だろう。
オーウェンのハムストリングが、再び大きな悲鳴を上げたのは、マンチェスター・ユナイテッド移籍1年目の'09-'10シーズン。前回の断裂からは、約11年の歳月が流れていた。マンUで戦列復帰を果たした後、本人は言っている。
引退の理由は絶えない怪我のせいではなく「予定通り」。
「切れた箇所は手術で元通り。でも、昔は切れたままだった。だから、僕のハムストリングは、右足が2本で、左足は3本という状態。このアンバランスを補うために、自然と負担や無理が生じて、左足や股関節なども痛めることになった」
相次ぐ故障で満身創痍のようにも聞こえる発言だが、オーウェンは「日常生活で痛みを感じるとか、体をほぐすのに苦労するというベテランの話も聞くけど、自分は全く問題ない」とも言っている。ストークでの今季にしても、昨年9月の加入から7試合出場1得点で引退を表明することになったが、絶えない怪我に「止むを得ず」ではなく、あくまでも「予定通り」の潔い引退決意だ。
オーウェンは、2シーズンほど前に、「トップレベルであと2、3年やりたい。その後は、 下部リーグにレベルを落としてまで現役に拘るつもりはない」と言っていた。
出場数や得点数に依存する「出来高制」の契約を結んだストークは、第2のキャリアの下準備には好都合でもある。現場ではコーチが適任とする意見が強く、自身も、「サッカーに関わっていたい」と言うオーウェンだが、昨年には、「ガリー・ネビルの鋭い分析に刺激された。メディアでの仕事にも興味がある」とも口にしていた。基本給がチーム内最低レベルのストークでは拘束も最低限。パートタイムで解説を経験することが可能になった。
ポール・スコールズとマイクル・オーウェン、さらにはジェイミー・カラガーも引退。
一世代の終わりですね・・・。
いやぁ・・・イングランド勢ベテランが大量に抜けますね。
自分が見たマイケル オーウェン選手は18歳の時。
この頃は全盛でトップスピードはずば抜けて早かったのも今は昔です
1998年のワールドカップでの試合をリアルタイムで夜遅くまで起きていて見た物です。
この時代は組織のイングランドサッカーに魅せられていましたよ。
キャプテンにギグス選手でベッカムもかなり若かったですよね。
そんなワンダーボーイは当時18歳。
その後は怪我に悩まされ素質があっても不遇でしたね。
それでも一生懸命やってはいましたが左膝の爆弾の所為で全盛よりは遅くなりましたね。
怪我が無ければもう少し頑張れたのでは無いでしょうか?
現在33歳。
スポーツ選手にとってはもう世代交代の時代なのですね。
ウェイン ルーニー選手が出て来てからはFWとしては絶望的でベンチウォーマーにもなれなかったですもんね
次の世代たちが既に新しい時代を作り引退した選手はそれぞれとはなりますがサッカー界に残る物、他の仕事をする物ですが一世代築いた偉大なる選手ばかりで感動を与えてくれたのはその鮮やかなる功績を残し
次の世代へ受け継がれる。
サッカーに終わり無し。
そしてこれからの新しい世代もまた新しい歴史を作って貰いたいです。
イングランドフットボール・・・歴史ある物です。
また新しい感動をお願い致します。
そしてマイケル オーウェン選手お疲れ様でした。
家族と共にごゆっくり・・・。
http://astore.amazon.co.jp/projectt02-22
全盛期からはほど遠い「失速」と「停滞」の引退表明。
ペナルティエリア内でボールが来れば、より簡潔に、ボレーシュートを叩き込んだ。
「オーウェン・ファイナル」と呼ばれる、'01年FAカップ決勝アーセナル戦(2-1)での2ゴールも、「ミュンヘンの奇跡」として知られるドイツとの同年W杯予選(5-1)でのハットトリックも、ゴール前に走り抜けての力強いシュートと、ボックス内での咄嗟のボレーの組み合わせによる得点だ。
それだけに、現役後半の「失速」と「停滞」に人々は胸を痛めた。誰もが記録更新を確実視した代表での得点数は、'07年に歴代4位の「40」となったまま。プレミアリーグ中位のストークで、スコアレスドローに終わった今季第30節をベンチで終えた直後という引退表明のタイミングには、尻窄みのエンディングを象徴するかのようで、淋しさを覚えずにいられなかった。
レアルへの移籍がその後のキャリアに暗い影を落とした。
キャリアにおける明暗の分岐点を、'04年夏のレアル・マドリー移籍と見る向きは多い。
同年にリバプールの監督となったラファエル・ベニテスの評価が低く、チームを去るしかなかったという見方までされている。だが、当時のチームメイトで、ユース時代からオーウェンを知るジェイミー・キャラガーによれば、レアル移籍はオーウェンが望んだ「変化」だった。一足先に今季末での引退を表明した35歳のリバプールDFは、3月20日付の『デイリー・メール』紙上で次のように明かしている。
「レアルは、大舞台での勝負強さに惹かれてマイケルを欲しがっていた。彼も、新たなチャレンジを求めていた。チーム内では政治力が物を言い、ラウール(・ゴンサレス)とロナウドという不動の2名がいるレアルにいけば、純粋な得点力だけで定位置を奪うことは難しい。だから、移籍は考え直した方がいいと言ったんだ。でも、マイケルの気持ちは変わらなかった。スペインでも成功すると信じて疑わなかったんだ」
実際、レアルで過ごした1シーズンの数字は、出場45試合で16得点と悪くはない。先発の機会が26試合に限られていた点を考慮すれば尚のことだ。結果として、翌'05-'06シーズンを前に、ニューカッスルは、30億円台の移籍金と約7億円の年俸を用意して、25歳のオーウェンをプレミアリーグに呼び戻した。
ニューカッスル復帰後は右足の古傷に悩まされることに。
そのニューカッスルでの4年間は、残念ながら、出場試合数は「79」、得点数は「30」に留まり、ファンに「給与泥棒」呼ばわりされるはめになった。
原因は、'06年W杯で負った前十字靭帯断裂を含む怪我の数々。悪循環は、'99年に経験した右足のハムストリング断裂に始まったものだ。
この19歳当時の大怪我に関しては、10代の頃から早熟の天才として肉体を酷使した代償を払わされたという解釈が一般的だ。だが、当時のリバプール監督だったジェラール・ウリエが休養を与えようとすれば、「30代になったら休みますから!」と常時出場を直訴していたのはオーウェン自身。当人が「若い頃にプレーしすぎた」などと後悔しているはずもなく、意識しているとすれば、それは、当時の医療技術の「未熟」だろう。
オーウェンのハムストリングが、再び大きな悲鳴を上げたのは、マンチェスター・ユナイテッド移籍1年目の'09-'10シーズン。前回の断裂からは、約11年の歳月が流れていた。マンUで戦列復帰を果たした後、本人は言っている。
引退の理由は絶えない怪我のせいではなく「予定通り」。
「切れた箇所は手術で元通り。でも、昔は切れたままだった。だから、僕のハムストリングは、右足が2本で、左足は3本という状態。このアンバランスを補うために、自然と負担や無理が生じて、左足や股関節なども痛めることになった」
相次ぐ故障で満身創痍のようにも聞こえる発言だが、オーウェンは「日常生活で痛みを感じるとか、体をほぐすのに苦労するというベテランの話も聞くけど、自分は全く問題ない」とも言っている。ストークでの今季にしても、昨年9月の加入から7試合出場1得点で引退を表明することになったが、絶えない怪我に「止むを得ず」ではなく、あくまでも「予定通り」の潔い引退決意だ。
オーウェンは、2シーズンほど前に、「トップレベルであと2、3年やりたい。その後は、 下部リーグにレベルを落としてまで現役に拘るつもりはない」と言っていた。
出場数や得点数に依存する「出来高制」の契約を結んだストークは、第2のキャリアの下準備には好都合でもある。現場ではコーチが適任とする意見が強く、自身も、「サッカーに関わっていたい」と言うオーウェンだが、昨年には、「ガリー・ネビルの鋭い分析に刺激された。メディアでの仕事にも興味がある」とも口にしていた。基本給がチーム内最低レベルのストークでは拘束も最低限。パートタイムで解説を経験することが可能になった。
ポール・スコールズとマイクル・オーウェン、さらにはジェイミー・カラガーも引退。
一世代の終わりですね・・・。
いやぁ・・・イングランド勢ベテランが大量に抜けますね。
自分が見たマイケル オーウェン選手は18歳の時。
この頃は全盛でトップスピードはずば抜けて早かったのも今は昔です
1998年のワールドカップでの試合をリアルタイムで夜遅くまで起きていて見た物です。
この時代は組織のイングランドサッカーに魅せられていましたよ。
キャプテンにギグス選手でベッカムもかなり若かったですよね。
そんなワンダーボーイは当時18歳。
その後は怪我に悩まされ素質があっても不遇でしたね。
それでも一生懸命やってはいましたが左膝の爆弾の所為で全盛よりは遅くなりましたね。
怪我が無ければもう少し頑張れたのでは無いでしょうか?
現在33歳。
スポーツ選手にとってはもう世代交代の時代なのですね。
ウェイン ルーニー選手が出て来てからはFWとしては絶望的でベンチウォーマーにもなれなかったですもんね
次の世代たちが既に新しい時代を作り引退した選手はそれぞれとはなりますがサッカー界に残る物、他の仕事をする物ですが一世代築いた偉大なる選手ばかりで感動を与えてくれたのはその鮮やかなる功績を残し
次の世代へ受け継がれる。
サッカーに終わり無し。
そしてこれからの新しい世代もまた新しい歴史を作って貰いたいです。
イングランドフットボール・・・歴史ある物です。
また新しい感動をお願い致します。
そしてマイケル オーウェン選手お疲れ様でした。
家族と共にごゆっくり・・・。
http://astore.amazon.co.jp/projectt02-22
WORLD SOCCER KING/ワールドサッカーキング0606号/サッカー雑誌/マガジン【送料無料/メール便配... |
2013-05-20 18:20
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0